昭和50年03月02日 特別奉修委員



 矢張り先ずその嫌いな科目が好きになるね、あのうおかげを頂く精進する外無いよってまぁ言った事でした。ね。だから女の子と書くと、好きと言う事になります。好きになる事に精進する事だよと、嫌いな科目だから嫌いだと言うたら愈々益々悪くなるだろう。それを好きに成る為には矢張り、勉強する外ないと言いながらそんならば、あのうそう言いながら神様はあのう、こう言う心掛けになると良いと言う事も教えておられる訳なんです、私は其の事を女の子と頂いたと言うたら顔を真っ赤にしよる。
 好きな子が有るとよねきっとね、だから頭の中にずうとそれがある訳なんです。ね。だからその位になら、その事を思い続ける様な、ね、思い方もだから教えておられる訳、思い方も教えておられると同時になら、あのう只神様にお願いすると、心掛けとかと言う事だけは解ったって、ね。矢張り好きになる精進をしなければならないと言う、その二つの事がその内容の中にあると思んです。
 是は昨日長瀬さんところの、どう言うたらいいか昨日、一昨日やろやっぱ、一昨日やったけど、是はあるもうどうにもならないお願いでしたけれども、お願いに来ました、そしたら私はその前日にですね、新聞であのう椿の花が食べられると言う記事が載ってましたよね、椿の花もあんそん内容を読まないから私しは解らんですけれども、あのう見出しん所に椿の花の黄ない芯のところだけを取ったら、あのう椿の花がなんかぁこう珍、美味しいらしいんですね。
 其の事が書いてあったのを私チラッと見とったんですよ。そしたらその事を頂くんですよ、ね、食べられると言う事は儘になると言う事でしょう、芯を取り除いて行けばと言う事は、今あんたがねこげな事じゃ信心にならんと言う事ば、思い続けとる事があろうがて、それを例えば今日一日でも取り除いて行くち、そすとね儘になると言う事やった、それから四時間ばっかりの後に。
 そげなままで行きましたが、おかげを頂きまして帰って来ました。そしてもうそりゃもう本当にもう、もうおかげにゃなるはずないのがおかげになっとるです、だからこりばずうと持ち続けるならまだおかげは、まだずうと続くと解ったけども、さぁ中々人間はそんな訳には行けない事もあるし、だから今日だけでもそれをね、取り除いて行く芯を取り除いて行く、そすとあのう所謂食べられる。
 儘になるおかげになるね、信心さして頂いておって神様にお願いをするからには、矢張りね。是は改まられない取り難い所なんだけれども、本気で願う時にゃ是も矢張りちょいと横に置いといて、そして願わんならんと言う願い方もやっぱあるですね、同時になら二つの事をの願いをさして貰う。う言う心掛けにならして頂いたらと、言う事もありゃ同時に心掛けだけじゃいかん。
 矢張りその事が好きにならなきゃと言った様なね、あのう精進努力も神様は求めておられる。ね。精進を求めておられる思い方も忘れておられる、なら一つの事でも改まらして頂く事によって、願う是を除いて願う事を願うと言う事になる時に、神様が十二分のお働きを現しなさる事が出来る事になるのです。こりゃまぁ信心させて頂く者のあれですよね、まぁつのこつの様な物じゃないでしょうかね、今日聞いて頂いたことは。